おひさまに魅せられてPart2

おひさまに魅せられてPart2

韓国の女優ハ・ジウォンさんの素敵さを綴るファンブログです

情熱のひと

※前ブログの記事の再掲載です。
 
 
 

私達はなぜ「ハ・ジウォン」と書いて「情熱」と読むのか[ペ・クンナムのスター探索]

 
「君を愛した時間」で視聴者と会うハ・ジウォン、情熱そのものである私たちの時代の若き名優
 

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ハ・ジウォン(36)が視聴者と会う。 今年に入って映画‘許三観’で観客と会い、旅行芸能‘お姉さんとgogo’で視聴者と会ったハ・ジウォンが、27日から放送されるSBS週末ドラマ‘君を愛した時間’の主演に出る。 人生の半分を愛より遠く友情よりは近い恋愛不可状態ですごした男女主人公の感情変化と成長痛を愉快で現実感あるように描いたロマンチック コメディ‘君を愛した時間’で、勝負欲強いシューズ マーケティング チーム長オ・ハナ役を担った。
時代劇‘奇皇后’以降に出演した映画‘朝鮮美女三銃士’と‘許三観’が、作品性問題とともに興行でも失敗してハ・ジウォンの上昇の勢いが鈍くなったが、彼女は大韓民国で大衆性、演技力、興行パワーが最も高い女性スターのひとりだ。 彼女は演技者の中で多様なキャラクターの消化力とアクション演技まで可能な広大な演技力のスペクトルを持っている。 それでハ・ジウォンが出演することになれば作品に関心が行くことになり、彼女が表出するキャラクターに対する気がかりなことが増幅される。 そして演技の色の変化に関心を持つことになる。 ハ・ジウォンはそのような俳優だ。
 

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情熱、ハ・ジウォンを水のような俳優にする
 
“私はボクサーであり剣客であったしスタントウーマンだった。 考えだけで可能な配役はなかった。”ある銀行CFの中で繰り広げられるハ・ジウォンの姿だ。 ハ・ジウォンはCFの中の姿のようにボクサーであり、剣客であったし、スタントウーマンだった。 そして妓生、葬儀指導者、海底装備マネジャーなど、考えだけでできない数多くのキャラクターを情熱で可能にした。
 
だが、少なからぬ人々は言う。 「ハ・ジウォン」といえば浮び上がる強烈なその「何か」がないと。 ところが、ハ・ジウォンと作業をした放送会社と映画会社など大衆文化界の人々は断言する。 ハ・ジウォンにより韓国ドラマと映画の地平は拡大したし、数多くの興行ドラマと映画が誕生することができたと。 ハ・ジウォンが出演したドラマや映画のうち、ただ一方だけでも注意深く見る人々は強調する。 作品の中のハ・ジウォンの存在感はどんなスターや演技者より強烈だと。
 
ハ・ジウォンをかすめるように知っている一部大衆と、ハ・ジウォンに直間接的に接した人々の反応はこのように対照的だ。 逆説的に、このような両極端の反応は、ハ・ジウォンを正確に読むことができる端緒を提供してくれる。
 
ハ・ジウォンは足りない演技力さえ全部許されるきらびやかな(?) 容貌の所有者ではない。 だからといって、酸素のようなイ・ヨンエ、溌刺としたキム・ヒソン、清純なチェ・ジウというような大衆の心中に刻印された強烈なイメージもない。 数多くの芸能人を一気に圧倒する強烈な個性を表わすことでもない。
 
このために少なくない人々がハ・ジウォンと強烈な等価物が浮び上がらないと考えている。 しかしながら、ハ・ジウォンは誰も否定できない最高のスターだ。 史劇の新しい地平を開いた‘茶母(タモ)’が、既存ドラマの定規で測ることはできない意味とキャラクターの深さで韓国ドラマの文法を書き下ろした‘バリでの出来事’が、そして数多くの視聴者の胸に火を付けて大衆性を確保した‘シークレット ガーデン’が、ハ・ジウォンという俳優がいたからこそ可能だった。 そして‘フォン’‘色即是空’‘1番街の奇跡’‘刑事Duelist’‘海雲台(ヘウンデ)’‘第7鉱区’等を通した韓国映画のジャンル、キャラクター、物語の拡張は、ハ・ジウォンという女優がいなければ不可能だっただろう。
 
茶母(タモ)’のイ・ジェギュPDは“ハ・ジウォンは韓国ドラマのキャラクターとテーマ、素材の限界を越えてその境界を拡げていく開拓者のような俳優”と規定したし‘、7鉱区’のキム・ジフン監督は“ハ・ジウォンが存在することが韓国映画の祝福”と献辞した。
 
キャラクターの中に完全に入り、ハ・ジウォンという俳優存在を全く体感できないよう完全にキャラクターとして存在するハ・ジウォン、彼女は‘水のような俳優’だ。 水がヤカンに入ればヤカンの形になり、カップに入ればカップの形になるように、ハ・ジウォンはそのような俳優である。
 
このために大衆はハ・ジウォンより先に‘茶母(タモ)’のチェオク、‘ファン・ジニ’のファン・ジニ、‘バリでの出来事’のスジョン、‘シークレット ガーデン’のキル・ライムを思い出す。 そして‘色即是空’のセクシーながらも清純であるという共存するのが難しい雰囲気をよく生かしたイ・ウンヒョが、‘刑事Duelist’のアクションとメローをあまりにも自然によく表わしたナムスンが、‘私の愛、私のそばに’のルーゲリック病で死んでいく愛する人を時には強烈に時には淡々と守るイ・ジスが、俳優ハ・ジウォンというからだを通じて生命力を得た。 この多様なキャラクターで俳優ハ・ジウォンを探すことは確かに難しい。 ハ・ジウォンは演技するキャラクターで完全に生きて、内面を具体化して演技するスタイルの代表的な演技者だ。 “俳優は私たちが想像することができるどんな配役でも、自身を合わせることができなければならず、すべての行動を信じることができて自然に表現できるようにしなければならない”という文化評論家D.ミクスンの主張の最適な事例を探すなら、その筆頭にハ・ジウォンという俳優が位置するだろう。それで数多くの大衆と専門家は、ハ・ジウォンは優れたキャラクターの内的確信と知識をブラウン管やスクリーンという壁を越えて視聴者や観客の意識の中に直接到達させる良い俳優だ、と認めるのではないだろうか。
 
この点がまさに、毎回異なるキャラクターを引き受けてもそのキャラクターにその俳優の感じとイメージ、個性が表れてキャラクターに演技者の真正性よりは俳優のスター性を表して作品没入を邪魔する数多くのスター演技者とのハ・ジウォンの弁別点である。
 
それならハ・ジウォン、真正性のあるキャラクターで大衆に近づいて水のような演技者になった原動力は何だろうか。ある者は「ハ・ジウォンの顔に汗が流れ、からだにアザができる時最も美しかった」と表現したり、ある者は「演技に必要な舞踊の動作ができないため、まさかやるまいという思いを持って100回やってみろと要求したが、ハ・ジウォンが100回やり遂げるのを見て舌を巻いた」とし、敬服したりもする。そしてハ・ジウォンは言う。“代役を使えば観客はすぐに分かる。 遠い距離から飛んでくる場面を演技する時、代役を使って汗だけ流す俳優を見る時、観客はすでに分かっている。 それで代役を使わない。”
 
まさにこのような演技に対する情熱、作品に対する情熱、そして大衆に対する情熱が今日のハ・ジウォンを作ったのだ。 ハ・ジウォンを規定する等価物の単語があるならば、まさに‘情熱’である。
 

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*昨日より今日、今日より明日がさらに期待されるハ・ジウォン、彼女の演技軌跡は?
 
“私は俳優なので幸せで、配役で生きるということが一番おもしろいです。 大変な時もあるが、後悔してみたことは本当にただの一度もないです。”
 
ある演技者がデビューして以来、10年以上放送用コメントのようなこの話をずっと繰り返している。演技者の無味乾燥な中身ない返事のように見える。 意味の内容を担保しないまま、乾性でインタビュー用のコメントとして使われるこの言葉が真実に近づくのは、その話をした人がハ・ジウォンであるためだ。 ハ・ジウォンの演技者としての軌跡を見ると、この言葉が虚言でなく真言であることを即座に悟ることになる。
 
1本の電話で、1996年、平凡な女子高3年生のチョン・ヘリムはハ・ジウォンになった。 “友達と撮った写真を見ました。時間がある時、会社に立ち寄ってください”というマネージャーの電話を受けた後、演技者として準備し、1997年、遊びに行った‘新世代報告100回特集、修学旅行’撮影会場で、演出者の“おまえ”という一言にうっかりして端役演技をし、演技者という運命のブラックホールに吸い込まれていったハ・ジウォンは、以後数多くのオーディションに落ちて試練を経験し、話題のドラマで本格的な演技者の道に入った。青少年ドラマで旋風的な人気を呼んで多くのスターを輩出したドラマ‘学校’に対する関心が増幅されて、‘学校2’に対するキャスティングが焦眉の関心事に浮び上がった。 そして‘学校2’で反抗的なセジン役を担って視聴者に近づいて、演技者‘ハ・ジウォン’という名前三文字を刻んだ。
 
そしてハ・ジウォンはスリラー物映画‘真実ゲーム’を選択して、多面的な姿と二重的な性格など新人演技者としては表出するのが難しいダヘ役を簡単でない演技力で消化し、映画界に進出すると、リュ・シウォン、キム・ハヌル、キム・ミンジョンなどスターが出演したドラマ‘秘密’で、重みのある悪役を引き受けて大衆の関心を集め始めた。
 
1999年‘学校2’撮影会場でかすめるように会ったハ・ジウォンは、ドラマで見た感じ以上でも以下でもなかった。 2000年ドラマ‘秘密’の記者懇談会場でキム・ハヌル、リュ・シウォン、キム・ミンジョンなどスター演技者の間に、とりわけ緊張したハ・ジウォンが座っていた。 “多面的姿を表わさなければならない悪役だと演技するのが容易でないはずなのに、どのように演技しますか”という質問に、“熱心にします”という言葉だけを繰り返した。
 
記者たちとのインタビュー自体に多くの緊張をした初心者新人ハ・ジウォンは、以後、多くの女優がメロードラマやトレンディードラマの清純なあるいは優しいキャラクターを通じてスター化の道を歩いたこととずいぶん違った、意味ある演技者的歩みを見せた。
 
ホラー物‘はさみ’‘フォン’そしてセクシーコメディ‘色即是空’まで。 イ・ヨンエキム・ハヌルチェ・ジウなど、多くの女優が大衆が歓呼する清純と至純なキャラクターを通じてスターダムに上がったことと違い、ハ・ジウォンは反抗的で陰鬱で暗いキャラクターとイメージで大衆と会った。 このようなキャラクターとイメージは、ハ・ジウォンに演技力とキャラクター消化力の拡張をもたらしたが、スター性を浮き上がらせることには制約要因として作用した。
 
“多くの女優がスリラー物や陰鬱で暗いキャラクターを敬遠しました。 ところが周りは私がホラーイメージと合うといいます。 それで自信を持って演技に臨んだし、そのようなキャラクターでハ・ジウォンという俳優の存在感を知らせたし、私の色々な側面を見ることができる機会を提供するようで、私は好きでした。”ハ・ジウォンは新人の時からそのような俳優であった。 ハ・ジウォンという俳優としての存在意味である演技力とキャラクターの拡張を試みることができる作品ならば、無謀なほど全身を投げたのだ。
 
そして2003年放送されたドラマ‘茶母(タモ)’は、ハ・ジウォンを誰も否めない不動の最高のスター隊列にのせた。 両班(ヤンバン)の子供で奴婢に転落して庶子である従事官を愛しているものの、茶母である自身の境遇をしっているため、彼を胸に刻んだまま見守り、ついに運命のくびきから抜け出せないチェオク役を通じて、躍動的なアクション演技で愛と運命の内面演技まで両極端の演技を示したし、可憐だが強く、美しいが粘り強い魅力的なキャラクターを創り出した。 ‘茶母’は大衆から爆発的な歓呼を受けるスターとしてのハ・ジウォンを誕生させた。 演技者ハ・ジウォンはこうだという存在感を刻印した瞬間だ。
 
そして韓国ドラマの文法を新しく書いた‘バリでの出来事’、そしてKBS演技大賞を抱かせたドラマ‘ファン・ジニ’を通じて、ハ・ジウォンは完璧に水のような演技者になっただけでなく、共存するのが難しい多様なイメージを、ハ・ジウォンという一体で自然に広げて出す演技者になった。このために視聴者は、‘バリでの出来事’では貧しくて困窮しているが、愛を知るスジョンを心で感じるだけで、ハ・ジウォンの体臭は引き受けることができなかった。 そして‘ファン・ジニ’では、蠱惑的だが運命に順応しない強烈な妓生、ファン・ジニの中にはハ・ジウォンを見出せなかった。
 
そして、“ハ・ジウォンらしい”を叫ぶことができる選択をした。 面白いことだが、あまりにも危険な演技者としての選択をしたのだ。 パン・ハッキ原作漫画をドラマ化した‘茶母’に出演して爆発的な関心を集め、チェオクというキャラクターが数多くの人々の心に打ち込まれている状況で、同じ原作を使った映画‘刑事Duelist’で同じ配役を引き受ける冒険を敢行したのだ。 これまで積み上げたハ・ジウォンのスターダムが、一気に崩れることもありうる賭博のような危険な選択だった。
 
2005年8月30日、‘刑事Duelist’の試写会場で会ったハ・ジウォンは話した。“‘茶母’のチェオクを忘れました”と。 そして言葉を続けた。“‘刑事Duelist’は作業がとても苦痛でたくさん泣いた。苦労して作業した結果がナムスンというキャラクターだ。”危険な賭けのように見えたハ・ジウォンの‘刑事Duelist’選択は、内面演技で多様な感情を表わしたチェオクと違い、中性性が強化されたナムスンが刀の動き、歩き方、言葉のトーンなど、外形的演技で愛、切なさなど各種感情を象徴的に表わす演技を見せて、意味ある演技者的進化という実を結んだ。
 
1200万の観客を動員した‘海雲台’や30%台視聴率で全国民的症候群を起こした‘シークレット ガーデン’で、名品演技力の俳優ハ・ジウォンは不動の大衆性と興行スターとしての力も持つことになった。そして、ハ・ジウォンを無条件選択して信じる‘ムッチマペン(隠れファン?)’も急増した。
 
ハ・ジウォンは、演技者としてさらに輝く部分がある。 スターという甘い席に安住せず、限りない情熱で新しい作品とキャラクターに挑戦することだ。 お金と人気を簡単に握ることができる魅力的なキャラクターではなく、ハ・ジウォンが見せなかったボクサー、葬儀指導者、海洋装備マネジャー、スタントウーマンなど、ハ・ジウォンの演技者として面貌を拡張して、新しいことを学んで容易ではないキャラクターに一寸の躊躇もなく飛びかかったのだ。 “なぜハ・ジウォンなのか”という言葉がひとりでに出てくる。 CFモデルを狙ったり、大衆が歓呼するイメージとキャラクターに安住し、演技者として一寸の進化なしで牛肉煮込みスープ(コムタン)をしぼり取るように自身のイメージを反復消費する一部のトップスターらと大きな差を見せる部分だ。
 
なぜそうなのかを尋ねた。 ハ・ジウォンの返事は明快だ。 “私は新しく習うのを、そして新しいキャラクターに挑戦するが楽しくて好きです。 本当に演技が楽しくなって幸せですが、人々は私に保身を図らないでする熱心な人、貪欲だと賛辞まで送ってくださるよ。 本当演技がとても好きです。”
 

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*人間ハ・ジウォンの人生がないと? だが、彼女の人間的香りは美しい!
 
大衆は、有名演技者やスターを大衆媒体で構築したイメージの延長線上で、私生活をはじめとする私的領域と人間的面貌を把握しようとする傾向が強い。スターや演技者の私生活が大衆に良く知られていないためだ。 大衆媒体で公開するスターや演技者の私的領域に対する情報というものも、かなりの部分が加工されている。
 
(記者)“‘俳優でない自然人ハ・ジウォン’はどうですか。なぜ毎回インタビューする時演技者でない人間ハ・ジウォンは一つも見せることがないと話をするのですか?” 
ハ・ジウォン)“私は私生活が殆どないですね。 作品の中で生きるということ自体が楽しくなっておもしろくて、その必要性も分からなかったんですよ。”
(記者)自然人ハ・ジウォンとして私的生活がなく、ひたすら演技者にオールインする生活と人生は何となく寂しくてむなしくないですか。 何より孤独だと思いますが? “
ハ・ジウォン)“他の人の人生を代わりに生きるのに孤独だということを感じられませんでした。 正確に感じる機会や時間がなかったことですね。作品をしない時間にも他の誰かの生活を送るために準備しました。”
(記者)“つきあっているか、好きな男性はいますか? ”
ハ・ジウォン) “ありません。 同僚男芸能人が何人かアタックしてきたが、みな断りました。演技者で熱心に生きてきて、男性の必要性を感じられませんでした。 ‘私は一般の女性とちょっと違うんだね’という考えを何度もしました”
(記者)“俳優でない自然人ハ・ジウォンとしてしたいことは何ですか? ”
ハ・ジウォン)“以前は一人でマートもよく行けなくて、書店も行ってみたことがないです。してみたいけど勇気が出ないんです。 今はマネージャーがしてくれるけれど、年を取ればどうしましょう。 少しずつゆっくり練習しようとします。 人間ハ・ジウォンを探す努力を少しずつ少しずつしたいです。 ”
 
ハ・ジウォンは加工される私生活さえも探し難い。 数多くの媒体とインタビューして、ハ・ジウォンが一貫して明らかにする私生活をはじめとする私的領域の内容は大同小異である。 “私生活がない”ということ。大衆は知らなかっただろう。 スクリーンとTV画面を通じて数多くの人々に感動と幸福を与えている俳優ハ・ジウォンになるまでの機会費用が、マートさえ行ってみることができなくて、“私生活が殆どなくて、人間ハ・ジウォンを見せることができない”というしかない状況であったということを。
 
“それできない! 私はトップスターだから”人気を享受したKBS ‘ギャグコンサート’のコーナー‘最終兵器、彼女’で、トップスター役のコメディアンが毎回叫ぶ台詞だ。 放送会社と映画会社内外の人々は、冗談半分に“もしハ・ジウォンのような女優だけいたらこのギャグ コーナーは誕生できないだろう”と話す。
 
“本当に熱心にしてこそ生きていることを感じるようです”“準備されないままで作品に入ることが、最も耐えられない部分です”“スタントマンを使うより、私がぶつかって演技する方がキャラクターの躍動感を生かすのにはるかに良いです”という言葉をハ・ジウォンは撮影現場でそのまま実践するためだ。
 
数多くの俳優たちが演技大賞や映画大賞で素敵な(?) 受賞所感をいう。 “この光栄をスタッフに捧げたい、苦労を一緒にしたこれらに代わって賞を受けること”と。 だが、これらの中の相当数は撮影時間に遅れるのは普通であり、スタッフを召使いのようにむやみに接し、演技に対する徹底した準備なしで誠意のない演技を日常的に行う人々がとても多い。 このためにPD、作家、監督、スタッフの、主演をはじめとする一部演技者に対する映画上映前後とドラマ放送前後の評価が違う場合が多いかもしれない。
 
ところが、不思議なほど放送前後そして上映前後の評価が一致した演技者がいる。 一緒に仕事をした端役俳優からスター演技者に至るまで、同僚演技者の一致した意見を見せる演技者がいる。 まさにハ・ジウォンだ。
 

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数多くの女性トップスターらとドラマ作業をしてみたというイ・キムプロダクションのチョ・ユンジョン代表は、“最高の演技者としてだけでなく、人間的な姿でも最高点を与えることができるスターはハ・ジウォンだと断言する。大変なドラマ作業をしていれば“不誠実だ”などとスターの問題点があらわれるものだが、ハ・ジウォンはスタッフにすることから演技に臨む態度まで、本当に最善であり最高であった”と絶賛した。
 
映画‘1番街の奇跡’に出演したある端役俳優は、このように証言する。 “撮影会場に行けば主演と端役俳優は天と地だ。 私が緊張してミスをして自転車を倒したが、ハ・ジウォンさんが大丈夫だと心から慰めてくれたし、演技の途中でハチに刺されて負傷した時には、食塩水持って直接ふり撒いた。このようなハ・ジウォンさんの姿を見て、大変でもずっと俳優の夢を育てることができた。”
 
‘シークレット ガーデン’のある補助出演者は、“多くの俳優たちが補助出演者を演技者として見てくれない。だが、ハ・ジウォンは違った。 台本も一緒に見てくれて、人間的に接してくれた”と感謝した。 ‘バリでの出来事’のチョ・インソンは、“ハ・ジウォンは本当に優しい俳優”といったし、‘私の愛、私のそばに’のキム・ミョンミンは、“照明器具に当たって負傷し、撮影が中断される危機でも、大変がりそうなスタッフをさらに心配して、たくましく撮影を強行したしっかりした俳優”ともいった。
 
人気によって、主演かどうかによって待遇が変わり、人間性が変わる所が芸能界だといわれる。 新人の時、謙虚で誠実だった演技者がスターに浮かび上がった後、不誠実と高慢の表象で非難を受ける場合が一度や二度ではない。
 
ハ・ジウォンはどうだろうか。 これまで会った‘新世代報告’、‘大人たちは分からない’‘学校2’‘秘密’の作家と演出者から‘海雲台’‘シークレット ガーデン’等、最近ハ・ジウォンが出演した映画とドラマの監督、PD、作家、製作者は、約束でもしたように口をそろえて語った。“トップスターとしてだけでなく、人間ハ・ジウォンとしても本当に拍手を受けるべきだ”と。
 
そして今日のハ・ジウォンを作った大衆は祈る。 俳優の華麗な経歴と成功が好きで、スクリーンとTV画面の外でよみがえる俳優ではなく、映画とドラマ、そして演技を愛して画面の中で本当に生き返る美しくて熱情的な俳優ハ・ジウォンになることを。
 
ハ・ジウォンはTV画面とスクリーン内外の姿が最もはっきりと違いが生じる俳優だ。 画面の外のハ・ジウォンは、道端で通り過ぎても分からない平凡な女性だが、彼女が画面の中に入ると、熱い情熱とあふれるエネルギーを吐き出す特別な俳優となる。 そして画面の外の人々は、画面の中の彼女の姿に感動して戦慄を感じる。
 
“すべての人の人生をみな演技することが夢です。 それで心が温かい俳優になろうと努力します”というハ・ジウォンは、今後見せることがとても多い俳優だ。 俳優ハ・ジウォンによって、韓国ドラマや映画も、キャラクターも、ストーリーも拡張されている。 ハ・ジウォンの情熱が止まらない限り、ハ・ジウォンの演技者としてのスペクトルが拡張されるだけでなく、韓国大衆文化の地平も拡大するだろう。
 
 

 
長かった~!!(笑)
 
 
これは2015年6月に公開された記事です。
私がブログを始める前、「君を愛した時間」の放送前に出た記事ですね。
 
この記者さんは、ジウォンさんのエッセー『今、この瞬間』にも寄稿されているそうで、この記事もその原稿に加筆したものだということでした。
熱いですよね、この記者さん(^^)
ジウォンさんの演技に対する思いと遜色ないくらい、ジウォンさんへの熱い思いがほとばしっています。
 
私も首を縦にブンブン振りながら読みました(^^)
 
 
 
 
どうして今ごろこの記事を取り上げるのか、ということなのですが…
週末に過去の作品に関する記事を見たくて検索していて、偶然目にしたのです。
 
 
このところ、ジウォンさんと同世代の女優さんが出ているドラマをいくつか観て、「なぜこの人は次々と作品に出ているんだろう?」と思ったりしていました。
「この役をジウォンさんが演じていたら…」と想像してみたりして。
まぁ、どれだけジウォンさんの演技に飢えているのか、って感じなのですが(^_^;
 
でも、その一方ではこうも思ったのです。
ジウォンさんにオファーがあるのは、「ハ・ジウォンに演じてほしい」という思いが強い作品なんじゃないか、って。
このキャラクターはハ・ジウォンが演じてこそ生きてくる、という思いの強い作品が提示されるんじゃないか、って。
 
なんだかモヤッとした思いを持ちながら過ごしていたところに、この記事と出会いました。
 
読んで気持ちが晴れました(笑)
 
やっぱりジウォンさんは唯一無二の演技者なんだ、ということを改めて確認しました。人として素晴らしい方だということも。
 
 
この記事の元となったのは2012年の原稿ということだけど、ジウォンさんの演技に対する情熱は今も変わらずにあることでしょう。
 
ただ、記事の中のジウォンさんと最近のジウォンさんでは少し変わられた部分もあるかな(^^)
Instagramで見せてくれる、普段の姿。
俳優でない自然人ハ・ジウォンの生活も楽しまれているようで、記者さんも安心かな(笑)
 
 
 
 
ファンというのはわがままなもので、1つの作品が終わると、次の作品は?いつ?どんな役?と思ってしまいます。
 
それは取りも直さず、ジウォンさんの素晴らしい演技に魅せられているから。
 
私の心を惹きつけてやまないのは、ジウォンさんの演技です。
 
ファンミでのジウォンさんももちろん素敵で、幸せな気分に浸れるけれど、
 
私が求めるのはやっぱり俳優ハ・ジウォンの演技。
 
ああ、演じるジウォンさんが見たい!!
 
 
出演確定のニュースが待ち遠しいです。
 
 
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この記事をあげたのは、今年の2月。
ジウォンさんが映画「担保」に出演か?という情報が出た後のことです。
2015年に書かれたこの記事がすごくいいなと思って、頑張って翻訳しました。
それから2ヶ月後、映画とドラマの出演確定&撮影開始の記事が出ました。
嬉しい限りです(^^)
 
 
前ブログも今、移行準備中ですが、3年半で950(!)近い記事を書いていたので、自分でも気に入っている記事をこちらにも再掲載していこうと思います。